かつての自分であったなら、
眉をひそめるような、困窮状態なのだが。
今の私は、
それを面白がって対応している。
削るところが食費であったりして、
かつての私なら、悲壮感たっぷりで24時間過ごしたところだが、
今の私は、
業務スーパーのもやしと、業務用こんにゃく板1kgを、購入出来て。
うれぴぃ。
もやしだけの、レパートリーを研究中であり、
ほぼ、こんにゃくだけの、煮物を研究中なのだ。
丁寧に作ると、おいしいのだ ^^
限られた内容で、こうも研究出来るとはと、ちょっと驚きで、
この環境下に置かれなかったら、
見過ごしたまま、
人生を終えてしまうところだったと、
困難となってしまった、この全体にも、
ちょっと感謝しつつある。
うふふ♪
さてさて。
今日の、掲題の、お話。
こんな感じで、
自分でも信じられない程、
ゆったりと、落ち着いて、人生を楽しめている。
つまり、ポジティブになれていると、いう表現になるのだが、
最近、
「どうして、明るくなれたのですか?」
と、質問される。
今の私が、日々、気を付けていること、
良い習慣にしたいと、気にしていることを、
話し出す前に、
私が、
「何度も、同じ失敗をしているんだろうから、自分が醸(かも)し 出しているモノを研究したくてね、それで、波動について、研究しようと思ったんです。」
と、言ったところで、
アハハハハ~
と、笑われて。
「なーんで、そういう方向に行っちゃうんですかぁー!」
と、笑われる。
ちょっと、変わっている人だから、
明るくなれちゃうんでしょーねー的に、
先に、解釈されてしまって。
私は、まだ話している(説明している)のだが、
もう、相手の耳には届いていないのだ。
最近は、
自分が発言する内容は、
自分の内に存在する、
<真実> の部分へ向けて、
自分のために、発言しているのだと、
理解しているので。
聴いてもらえなくても、
へっちゃらぴぃ~、
なのだが。
<波動> とか、<引き寄せの法則>とかを、
ただ、ただ、
笑って、おしまいに しまう人を、
「もったいないなぁ~」って、
思ってしまったりも、する。
そんな時は、
かつて、
最初に、
憧れた、
彼らの文面(発言)を、
思い出す。
「セス」とか、
「バシャール」とか、
光の存在「オリン」と「ダベン」とか、
「エイブラハム」とかを。
チャネラー:ジェーン・ロバーツ(と、夫ロバート)によって、世に出た内容や、
チャネラー:ダリル・アンカ によって、世に出た内容、
チャネラー:サネヤ・ロウマン と、
チャネラー:デュエン・パッカー によって、世に出た内容、
チャネラー:エスター・ヒックス(と、夫ジェリー)によって、世に出た内容を。
相手に媚びを売る事なく、
相手を尊重し、
必ず、肯定的表現を使うのだ。
私たちだったなら、
つい、
「~~~しない方がいい」と、
言ってしまうところや、
「だから、あなたは、~~~なんですよ」と、
非難や、
ジャッジを、
してしまいそうな ところについて、
“彼ら” は。
“彼ら” の発言(文章)は、
表現が「肯定的」ではありながら、
当人の確信(痛いところ)を突き、
結果的に
「~~~しない方がいい」や、
「だから、~~~あなたは、〇〇〇なんですよ」が、
伝わっているのだ。
当人が、
自分自身で、
「~~~しない方がいい」や、
「だから、~~~自分は、〇〇〇だったのか」と、
気づき 始めるのだ。
“彼ら” の、書籍を読んだ時、
その、
肯定的文章に、
憧れた。
魅力を感じた。
どんな作家でも、
どんなコピーライターでも、
同様に、肯定的文章だけで、文字を続けても、
「本質」を、持ち合わせていなければ、
化けの皮がはがれてしまうのだろうと思った。
魅力ある肯定的文章は、
「本質」を持ち合わせていなければ、
書けないと、
その時、理解した。
チャネリングを行う人を
channel(チャネル、チャンネル。水路、通信路の意)と言う
引用:
チャネリング - Wikipedia
「チャネラー」も、
チャネラーが、
身を貸す「その相手(存在たち)」も、
よくよく、知っているからだろう。
自分が発したものが
(波動が)、
自分に返って来る、という事を。
だから、いつも100%
完全に、自分自身のためなのだ。
誰かのために、メッセージをしているようで、
完全に、自分自身のためなのだ。
それを思い出し、
<憧れ> を、
もう一度、
思い出して。
100%、
自分へ向けて、
発言をしているという事を、
思い出す。