仕事って、ナンですか?
どうして、働かないと、いけないのですか?
小さな子どもみたいな質問をしてみます。
小さな子どもが質問したなら、笑って答えてもらえると思うのですが、
社会人となって、もういい年になって、この質問をすると、
にっがーい、顔をされつつ、
「いーんじゃない? 働かなくても」
「一度、ゆっくりしたら? そのうち働きたくなるわよ」
そういった回答をもらいます。
いえ、いえ、
そーゆー事で、質問をしたのでは、なくて、ですね。
本当は、みんな、誰もが「?」と思いつつ、
深く追及しないで、仕事をしている(仕事を探している)のではないでしょうか?
って、事を、
質問したんです。
私、3つの頃から、いろいろ習い事をしてました。
私の意志や、意見は、全くの無視です。
物心ついた頃から「何だか分からないけれども、流れに乗らなきゃならない」を続けて来ました。
そして、今、疲れ果てて、全てをリセットしています。
最近「 “仕事” って、本来、何だろう?」と、調べてみた訳です。
キーワードは「仕事」として調べたのではなく、「エネルギー」で。
私たちは波動の存在なのだと知ったので、
波動とはエネルギーであるとも知り、
自分は「波動」であって、「エネルギー」なのかぁ。
じゃあ、エネルギーの仕事って、何だろう?と思った訳です。
検索で「エネルギー」「語源」で調べると、面白い事が分かります。
たとえば、こちら ↓
↓ 一部 引用しますと、、、
「エネルギー」という言葉をどう訳したのか?
そもそもエネルギーの語源はギリシア語「ergon」で、仕事をする能力のこと。
多くの訳語を中国は導入したが、ギリシア由来のドイツ語の「energie」は中国は「能源」と訳した。
一方、日本は「エネルギー」と音訳したことから、日本は独特なエネルギーの世界を歩みだすことになる。
今、私たちは日本人として生きているので、
漢字を当ててもらった方が、本来の意味を受け取りやすい。
そういう意味では、
「日本語 訳:エネルギー」よりも、
「中国語 訳:能源」は、
現代に迷いつつある日本人へ、
救いの手を、差しのべて いる。
能(能ある鷹は爪を隠す、の「能」)
源(みなもと、魂、そういった類に使われる、「源」)
「脳」や、「動」では、無いのだ!
小学生になる前から、何かしら習い事をはじめ、
遊ぶことよりも、
「早々に、道をみつけなさい」(仕事に就けるように勉強をしなさい)と、せかされて、生活を送るが、
本当に、それでいいのだろうか?
たぶん。。。
違うと思う。
(みんな、そう思っていながら、現状を続けている。)
私は、今、人生につまづいて、それを知るために、頭を使えたが、
定年を迎えて「あれ?」と思う様に、この社会は、組まれている。
働きたいではなく
「仕事しなくちゃならない」は、
変だよねぇ?