“人生終わった” という思い。
それは、ひとそれぞれだと思うけど。
私の場合は、
弁護士に依頼して、家族との繋がりを終えたこと。
マルチタスクの仕事が出来なくて、全然、仕事が見つからなかったこと。
仕事が見つからないから、貯蓄全て使い果たしたこと。
行政のお世話になる身になったこと。
いろいろある。
「えー! 私の方が、もっと、“人生終わった!!” という、思いをしてますよー!」って、お人もいらっしゃると思う。
うん。
そうですよね。
でね?
ここでは、
その濃度や、
苦労の差を言い合いたいのではなくって。
それは、きっと。
「その当事者に対して、本来の生き方に、気づかせるため」だと。
気付いたのです。
私は、
いろいろあったその時に、
本当に疲れてしまって、
「もう、どうなっても いいや~、手放そう」と、
思えたのです。
いろいろ、手放しました。
今、
人様から見たら、
私は、殆ど、何も持っていません。
お金や土地とか、そういった「財産」だけでなく、
人や仕事といった「つながり」をも失いましたが、
私自身の感覚は、
過去よりも、幸せなのです。
- 自分の芯がしっかりしている。
- 意味なく寝付くことがなくなった。
- 朝、目覚めるのが、ウキウキしている。
- 生を授かる前に、きっとこんな風に「〇〇したかった!」と思っていたと思う。
- 生を授かる前に「〇〇したかった!」と思っていた事を、思う存分させてあげる、自分になってゆこう。
そんな風に思える毎日を送っています。
信念の書換え(潜在意識の書換え)が、進んでいるのだと思います。
そういったお話を、書いてゆきます。
またね!